佐伯一麦『光の闇』の中の記憶がないをテーマにした「二十六夜待ち」が原作
とのこと。
たまたま、Amazon Primeで視聴。
そもそも二十六夜待ちとは馴染みのない言葉である。
goo辞書によれば、
「江戸時代、陰暦正月・7月の26日の夜、月の出るのを待って拝むこと。
月光の中に弥陀・観音・勢至の三尊が現れると言い伝えられ、特に江戸高輪 (たかなわ)
から品川あたりにかけて盛んに行われた。六夜待ち。」
とあるが、さっぱりわからない。
この映画もさっぱりわからなかった。
簡単に書けば、「記憶を失って発見された男と、東日本震災で家族を失った女が
出会い、男女の関係が深まっていく」という話だ。
「抱き合っても男は精神的な理由で最後までいけなかったのが、最後にはできる
様になった」という形で関係の深さを示すのは珍しいかもしれない。
二人の内面も素性もほとんど語られないままに、画面が真っ暗な中で抱き合う
シーンがやたらと多い(二人の素性は最後まで、ほとんど不明なまま)。
男が営む店の営業中のシーンと、女と抱き合っているシーンが大半を占める。
男は、やたらと寡黙で何を考えているのかわからない。
しかも最初に女と抱き合った時は、ほとんど強姦である。
最後の方で、二人で月を見上げて語るシーンがあるが、女が細い月を見て
「お皿みたい」というのも、どこが皿なのかと首を捻ってしまった。
佐伯一麦は私小説作家とのことだが、私小説というのはこういうものなので
あろうか。